企業化と動画配信活用でプロレス業界1位目指す--DDTやNOAHがサイバーに参画した理由

 「プロレスは個人商店みたいなもの。大きくするには企業化する必要があった」「経営が厳しく、旧態依然とした興行を続けるしかなかった」「やるからには業界1位の座を取る」――サイバーエージェントグループでプロレス事業を行う、CyberFight代表取締役社長の高木規氏ならびに、同取締役の武田有弘氏はこう語った。

 CyberFightでは「DDTプロレスリング」(DDT)、「プロレスリング・ノア」(NOAH)、「東京女子プロレス」、「ガンバレ☆プロレス」のプロレス4団体で事業を展開。DDTは1997年に旗揚げされ、通常のリングではない場所で行う「路上プロレス」や、個性派レスラーなどを特徴として展開。またNOAHは、三沢光晴さんによって2000年8月に旗揚げされた団体として知られている。

 DDTは2017年9月に、NOAHの運営会社であるノア・グローバルエンタテインメントは2020年1月にサイバーエージェントグループへ参画。同年9月にDDTとノア・グローバルエンタテインメント、飲食部門を運営するDDTフーズが経営統合し、CyberFightとなった。

 国内でも長い歴史を持つプロレスにおいて、これまで経営や運営の面でどのような課題があったのか、そしてサイバーエージェントグループ入りしてからの取り組みや変化について、高木氏と武田氏に聞いた。

 高木氏は「高木三四郎」のリングネームでDDTの旗揚げから選手として参加し、後に社長として就任。現在でもリングに立つ現役レスラーと経営者を両立しながら活動をしている。武田氏は新日本プロレスや全日本プロレス、武藤敬司選手が立ち上げたレッスル・ワンの運営に携わるなど、長年プロレス団体の運営に関わっていた人物。2019年にはノア・グローバルエンタテインメントの社長に就任し、NOAHの経営に携わっていた。

CyberFight代表取締役社長の“高木三四郎”こと高木規氏(左)と、同取締役の武田有弘氏(右)
CyberFight代表取締役社長の“高木三四郎”こと高木規氏(左)と、同取締役の武田有弘氏(右)

「大きくするための企業化」「旧態依然で経営難」--それぞれが抱えた課題

――まずDDTとNOAHについて、サイバーエージェントグループに参画した経緯についてお話ください。

高木氏 DDTについてですが、もともとプロレスは個人商店の色がすごく強かったんです。言い方を変えると、小劇団をイメージしてもらうといいかもしれません。そこから大きく発展していくには、企業化をしなくてはいけないという考えがありました。

 2017年3月にさいたまスーパーアリーナで大会を行ったのですけど、目標の動員数に達しなかったことや、インパクトを与えることに乏しい結果になったことに、自分のなかで心残りと危機感を持ったことが背景としてあります。このときに、大企業のグループ入りや資本業務提携などさまざまな選択肢を考えて、サイバーエージェントグループ入りを決めました。

武田氏 NOAHについては、率直に言って経営的に厳しい状況がありました。2019年における選手の契約更改にあたって、経営上の理由で契約の延長ができない状況が発生しました。そこで高木に、専属契約から離れる選手をリングに立たせられないかと相談したんです。このときに、経営が厳しいこともお話したところ、高木から藤田(※サイバーエージェント代表取締役の藤田晋氏)に伝わったことが経緯になります。

――ちなみにお二方ともプロレス業界に長く従事されているかと思います。今は同じ会社に在籍されていますが、以前から交流はあったのでしょうか。

高木氏 たしか共通の先輩がいて、大勢の集まりのなかで挨拶をしたことはあるのですけど、ちゃんとお話するきっかけとなったのは、DDTの興行「マッスル」ですね。新北京プロレスという架空の団体がありまして、そのロゴマークが新日本プロレスに酷似していたことから、当時在籍されていた武田から、親切心で指摘の連絡があって(笑)。そこからですかね……。

武田氏 そういうこともありました(笑)。仕事上においては、当時DDTに所属していた飯伏幸太選手が、新日本プロレスの事務所に突然ふらっと現れて、「スーパージュニア(BEST OF THE SUPER Jr.)に出たい」という意向を伝えられて、その対応をしたことですね。

高木氏 その出来事があって、飯伏選手は新日本プロレスへ参戦する流れができたのですけど、窓口になって対応していただいたのが武田でした。そして、そのあとも武田とは妙な縁がありまして。

武田氏 レッスル・ワンの運営に携わっていたこともあるのですが、高木がDDTと兼任でCEOを担当するという出来事があったんです。

高木氏 レッスル・ワンの経営者が事実上不在だったところで、武田にお願いする話があったようなのですが、難しい状況になったことから自分に白羽の矢が立ったと。ただ、引き継ぎにあたっては、武田と一緒にやっていましたね。

 ほかにもDNA(DDT NEW ATTITUDE)という、若手選手を主体とした興行を行うプロジェクトがあったときに、DDTがプロデュースするよりも、武田にお願いしたほうがいいと思い、声をかけて運営をお任せしていた時期もありました。

――話しを戻しまして、武田さんにお伺いします。NOAHの経営が厳しいと話されていましたが、どのような課題があったのでしょうか。

武田氏 一言で言えば、旧態依然としていたと。NOAHは全くメディアコンテンツを持っておらず、興行の比重が高かったので、広がりが出せていなかったんです。いい試合はしていましたし、NOAHというコンテンツは悪くないのですが、ライブ配信もメディアもなくて、その魅力が伝わらない状態にありました。映像のクオリティを保つ資金もなかったですし、その当時お付き合いがあったメディアとのスピード感も出せていなくて。旧態依然とした興行を続けるしかなかったところが課題でした。

――高木さんはプロレス団体に経営に携わるようになって、何か課題と感じるものはあったのでしょうか。

高木氏 私がDDTの社長になったのは2004年からなんですけど、そのときに思ったのは、映像コンテンツが、会社にとって資産になると理解していました。ただ、かつてのプロレスはテレビの地上波で中継されていましたけれども、放映権を持つテレビ局が、映像の管理と著作権を保有しているんです。そのため、プロレス団体がその映像を自由に活用できない状況がありました。

 今のご時世ですとネット配信もそうですし、SNSを通じて動画を配信することも重要度が高まっています。プロレス団体が映像の権利を持つことの取り組みは、ライブイベントなどを行う音楽業界などよりも、ずいぶん遅れていたと感じています。

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